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先に答えを書く。『トイ・ストーリー4』への酷評は、作品の出来ではなく終盤でウッディが出す結論に集中している。2010年の『3』が9年間ずっと完成形として扱われてきたところへ、あとから別の着地が重ねられるため、1〜3を追ってきた人ほど受け入れられない側に回る。批評の側の評価はむしろ高く、本作は第92回アカデミー賞の長編アニメ映画賞を受賞している。評価が高いのに感想が割れるこのねじれは、1〜3を通っていない人にはほとんど起きない。
つまらない映画ではない。それだけは先に書いておく。おもちゃはいつか捨てられる——シリーズが1995年からずっと抱えてきたこの題材に、『トイ・ストーリー4』はいちばん深いところまで踏み込んでいる。フォーキーという新キャラの発明は斬新だし、ギャビー・ギャビーの物語は好きだ。それでも筆者は、この一本を好きになれなかった。
理由はひとつしかない。ウッディが最後に出す結論が、「これまでのシリーズは何だったの?」という気持ちにさせる。同じ選択でも、バズならまだ許せた。24年分の履歴書を、最後に一行だけ書き換えられたような読後感が残る。作品としての評判はむしろ高く、翌2020年のアカデミー賞では長編アニメ映画賞を獲っている。それでも1〜3を通ってきた人ほど感想が割れるのは、この一行を許せるかどうかで立つ側が変わるからだ。
📺 トイストーリー4の配信は?見放題はDisney+だけ【2026年8月版】
| サービス | 配信状況 | 無料体験 |
|---|---|---|
| Disney+ | 見放題 | なし |
| Amazon Prime Video | レンタル(400円) | 30日間 |
| DMM TV | レンタル | 14日間 |
| Hulu | レンタル(440円) | なし |
| U-NEXT | 配信なし | 31日間 |
2026年8月22日時点の情報だ。国内で見放題なのはDisney+だけで、Amazon Prime Video・DMM TV・Huluは1本ごとのレンタル配信になる。U-NEXTでは配信されていない。ディズニー作品はサブスクの権利が自社に寄っているので、この形は当面変わらないと見ていい。配信状況は変動するため、最新情報は各サービスの公式サイトでも確認してほしい。
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今すぐ観るなら、見放題で配信しているDisney+が早い。
配信先は分かった。あとは観るかどうかだが、迷っているなら先に『トイストーリー3』が何を完結させたのかを確かめてほしい。この4への評価は、ほとんどそこで決まる。
🎬 予告編
この作品を3行で
- おもちゃの「役割が終わったあと」に踏み込んだ4作目
- フォーキーとギャビー・ギャビーは、新キャラとして文句なしの出来
- ウッディが最後に出す結論で、シリーズを追ってきた人ほど評価が割れる
作品情報
- 作品名:トイ・ストーリー4(原題:Toy Story 4)
- 公開年:2019年(日本公開:2019年7月12日)
- 監督:ジョシュ・クーリー
- 上映時間:100分

📖 あらすじ(ネタバレなし)
ウッディたちの持ち主は、アンディからボニーへ移っている。幼稚園の体験入園で心細くなったボニーは、机に転がっていた先割れスプーンにモールと目玉シールをつけて、フォーキーという人形を作る。ボニーにとっては、いま一番大事なおもちゃだ。
ところが当のフォーキーは、自分をゴミだと認識している。隙を見てはゴミ箱へ帰ろうとする彼を、ウッディは何度も何度も引き戻す。やがて家族旅行の途中でフォーキーが車から飛び出し、追いかけたウッディは夜の街へ出ることになる。その道すがら立ち寄ったアンティークショップで、かつて別れたはずのボー・ピープと再会する。
😕 なぜ酷評されるのか|評価と感情がねじれる3つの理由
ウッディが最後に何を選ぶかは、ここでも書かない。以下は結末の中身ではなく、酷評がどこから出ているのかの整理だ。
ひとつ目は、『3』の余韻が上書きされること。2010年の『トイ・ストーリー3』は、シリーズをきれいに閉じた一本として9年間扱われてきた。4はその上に別の結末を重ねる。厄介なのは、一度観たら元に戻れない点だ。今から『3』を観直しても、あのラストは4を通した状態でしか受け取れない。続編に「蛇足」という言葉が使われるとき、たいていは「余計だった」という意味だが、ここで起きているのは、すでに持っていたものが書き換えられたという感覚に近い。
ふたつ目は、その選択をするのがウッディだということ。1作目から3作目までのウッディは、持ち主のそばにいることを一度も疑わなかった人物だ。24年かけて信念を貫いてきた側のキャラクターに、最後の最後でその信念を降ろさせる。同じ結論でも、1作目で自分が何者かを一度作り替えられているバズが出したのなら、まだ筋が通った。積み上げとの落差が大きいぶん、引っかかりも大きくなる。
みっつ目は、シリーズの手触りが変わったこと。ジェシー、レックス、ハム、ポテトヘッド、リトルグリーンメン。『3』で全員に見せ場があった仲間たちは、4ではジェシーを除いてほぼ背景に回る。加えて「人間が見ている前では動いてはいけない」という1作目からの大原則が、終盤では物語を進めるための手段として何度か使われる。ウッディ個人の話に集中した結果なので理屈は分かるが、全員で騒ぐチームものとして観てきた人には、別の映画に見える。
この3つは、どれも映像や脚本の質を責める話ではない。フォーキーという新キャラの発明も、ギャビー・ギャビーの造形も、冒頭の雨と排水溝の質感も、単体で取り出せば文句のつけようがない。第92回アカデミー賞が長編アニメ映画賞を出したのは、そこを見ているからだ。酷評が集まっているのは作品の質ではなく、24年ぶんの記憶を抱えて観に行った人と、この映画の着地との相性である。同じ映画を観ても感想が真っ二つに割れるのは、そこに理由がある。
✨ この作品の魅力
ここがすごい!
- 先割れスプーンに自我を持たせた、シリーズ最大の発明
- 敵役のギャビー・ギャビーが、悪役の枠に収まらない
- 冒頭の雨と排水溝は、実写と見分けがつかない
- フォーキー、ギャビー・ギャビー、ダッキー&バニー、デューク・カブーンを100分に入れて全員働かせている
フォーキーは、命が生まれる瞬間を描いている
この映画でいちばん斬新なのは、ゴミ箱の中身に自我が芽生える瞬間を、正面から映してしまったことだ。ボニーが工作の時間に手を動かし、目玉シールを貼り、モールをねじる。次のカットでフォーキーはもう自分の意思で立ち上がっている。おもちゃに命が宿る手順を、シリーズは24年間ずっと画面の外に置いてきた。それを4作目でやった。
しかも生まれた本人は、自分をおもちゃだと思っていない。彼の材料はゴミ箱に落ちていた先割れスプーンである。フォーキー自身も、自分はスープやサラダのために作られてそのあとはゴミになるものだ、と言い張る。使い捨てのカトラリーにとって、使われたあと捨てられることは不幸ではなく、そこまでが仕事だ。フォーキーがゴミ箱へ帰りたがるのは絶望しているからではなく、与えられた役割を最後まで全うしようとしているからだと考えると、あの反復ギャグの見え方がまるごと変わる。
ここがこの映画の最初の一手だ。役割を果たせることは幸せだという前提を、フォーキーが体を張って提示する。そのうえで映画は、後半でこの前提を自分から崩しにかかる。設計としては見事で、フォーキーを「かわいい新キャラ」で終わらせなかった判断は、素直にすごいと言うしかない。
おもちゃの視点で「生まれるとはどういうことか」を100分の映画の中に入れてきたのは、シリーズの中でこの4作目だけだ。
ギャビー・ギャビーは、悪役のまま終わらない
この映画のなかで好きなのは、アンティークショップの棚にいる人形、ギャビー・ギャビーの物語だ。彼女の望みは世界征服でも復讐でもない。一度でいいから子どもに選ばれたい、それだけである。工場から出た時点でボイスボックスが不良品で、紐を引いても歪んだ音しか出ない。その一点だけで、彼女は何十年も誰にも連れて帰ってもらえなかった。
だからやることは強引だし、序盤の登場のさせ方はほとんどホラーだ。それでも観ているうちに、彼女を責める気がだんだん減っていく。悪役の動機が「愛されたい」しかない話は、途中から悪役の話ではなくなる。ロッツォを憎みきれなかった『3』と同じ構造だが、ギャビーの場合は寂しさの理由が体に刻まれている分だけ、逃げ道がない。
移動遊園地の場面で彼女に起きることは書かない。ただ、レビューを読んでいると「まさかギャビーで泣かされるとは思わなかった」と書いている人が何人も目についた。悪役に用意された着地としては、シリーズで一番きれいだと思う。
冒頭の雨と排水溝で、CGの話は終わる
開幕は9年前の嵐の夜だ。降りしきる雨、あふれる排水溝の濁流、濡れたプラスチックの表面に乗る光。ここだけ切り出して見せられたら、実写だと答える人がいてもおかしくない。1995年の1作目が「CGでここまでできる」という驚きで世界を殴った作品だったことを思うと、24年でここまで来たのかと素直に感心する。
使いどころも上手い。ボー・ピープは電気スタンドに付いていた陶器人形で、本作ではアクションを一手に引き受ける。ところが彼女がどれだけ跳ねても、体からは陶器の硬さが抜けない。おかげで着地のたびに、こちらは一瞬「割れる」と身構えさせられる。
🎭 印象的なシーン
ボニーが部屋で「帽子屋さんごっこ」をする場面がある。市長、銀行員、アイスクリーム屋、帽子屋、郵便屋と役が振られていくのだが、ウッディは選ばれない。ボニーは彼を一度持ち上げ、胸の保安官バッジだけ抜き取って床に戻し、クローゼットの扉を閉める。抜かれたバッジはジェシーの胸に移り、ウッディはその遊びを扉の隙間から見ている。アンディの部屋でずっと一番だった保安官が、新しい持ち主の遊びには入っていない。ここを見せてから物語を始めた判断が、この映画の全部を決めている。
対になるのが、フォーキーがゴミ箱へ帰ろうとするたびにウッディが引き戻す反復だ。何度でも走り、何度でも捕まえて、埃を払って連れて帰る。笑う場面として作られているし実際に笑うのだが、ウッディがそこまでする理由は、彼自身がもうボニーに選ばれていないことと地続きになっている。世話を焼く相手がいる限り、自分の役目は残る。
そして終盤、シリーズの決め台詞である「無限の彼方へ、さあ行くぞ」がもう一度出てくる。誰が誰に向けて言うのかは書かない。1995年から数えて何度も聞いてきた同じ一行が、この作品では完全に違う意味で鳴る。
💭 観終わったあとに残るもの
「よくできている」と「好きになれない」が、最後まで同居したままだった。頭は褒めているのに、気持ちが付いてこない。この二つが平気で両立してしまうのが、本作の一番やっかいなところだ。
この4を観たあとに引っかかるのは、もう一度『3』のラストを同じ気持ちで観られるのかだ。同じ不安を書いている人を何人も見かけた。1本の映画としての出来と、シリーズの一員としての振る舞いが、こんなに食い違う作品はめずらしい。
深いテーマ
この映画は、自分で立てた前提を自分で壊す構造になっている。フォーキーが「与えられた役割を全うすることが幸せだ」と体で示し、その一方でボー・ピープが「役割から降りても生きていける」という実例として置かれる。前半で提示した価値観を、後半の別のキャラクターが否定していく。1作目から3作目までのシリーズが「おもちゃは子どものそばにいるべきだ」という一本の信念で走ってきたことを考えると、これは相当に大きな方向転換だ。肯定的に読むなら、ファンタジーだった世界を人間ドラマの側へ進化させたということになる。そう評価している人も実際にいる。ただ進化した結果として、そこにいるのが自分の知っている登場人物なのかどうかは、また別の問題になる。
ここまで読んで気になったなら、Disney+で見放題配信中だ。
こんな方におすすめ!
- 1〜3作目を観ていて、4を観るか迷ったまま何年も放置している方
- 観たあとモヤモヤが残って、その正体を言葉にしたい方
- ピクサーの映像がどこまで来たかを確かめたい方(特におすすめ)
😅 ここが惜しい
手放しで勧められない理由は3つある。どれも「この映画の出来が悪い」という話ではなく、そこがややこしい。
『3』の完璧な着地を、あとから上書きしてしまう
これが最大の問題だ。『トイストーリー3』は、シリーズをこれ以上ないきれいな形で閉じた作品だった。9年間、あの結末は完成形として扱われてきた。4はその余韻の上に、後から別の結末を重ねてくる。
厄介なのは、一度観てしまうと元には戻れないことだ。今から『3』を観直しても、あのラストの意味はもう4を通した状態でしか受け取れない。作品の出来がどうであれ、この上書きは起きる。続編に対して「蛇足」という言葉が使われるとき、たいていは「余計だった」という意味だが、本作の場合はもっと具体的で、すでに持っていたものが書き換えられたという損害に近い。
その上書きの引き金を引くのが、ほかでもないウッディだ。彼が何を選ぶのかはここには書かない。ただ、それは1作目から3作目までのウッディが積み上げてきたものの上に、素直には乗らない。ボニーの心がすでに離れていたことは分かる。ボー・ピープと一緒にいたい気持ちも分かる。持ち主を持たない生き方に筋が通っていることも分かる。それでも、その選択をするのがウッディである必要はあったのか、という引っかかりが最後まで消えなかった。
これがバズの決断なら、話は違った。バズは1作目の時点で「自分が何者か」を一度作り替えられている人物だ。24年かけて信念を貫き通してきた側のキャラクターに、最後の最後でその信念を降ろさせた。ここで積み上げが一気に崩れた。……おもちゃの進路にここまで本気になっている時点で、この映画に負けている気もするが。
昔からの仲間が、ほとんど画面にいない
ジェシー、レックス、ハム、ポテトヘッド、リトルグリーンメン。3作目では全員に見せ場があった。焼却炉へ流されながら手を取り合ったのがジェシーたちで、そこへクレーンを操作して割り込んできたのがリトルグリーンメンだ。4での彼らは、ジェシーを除けばほぼ背景である。バズですら単独行動の時間が長く、ウッディとの掛け合いは想像よりずっと少ない。
ウッディ個人の物語に集中した結果なので理屈は分かる。ただ、シリーズの魅力の何割かはあのメンバーが揃っていることそのものだった。最後の一本になるかもしれない作品で、彼らの持ち時間がここまで削られるのは配分としてもったいない。
おもちゃが、人間に手を出しすぎる
このシリーズには「人間が見ている前では動いてはいけない」という大原則がある。1作目の終盤、ウッディがシドの前で自分から動いてみせる場面が効いたのは、それが一度きりの反則として置かれていたからだ。ところが本作では、おもちゃが人間の行動そのものに介入する場面がいくつも出てくる。
物語を進めるための必要は理解できる。それでも筆者は、ここで世界のルールが緩んだと感じた。24年ぶん、例外を一度きりに絞ってきた縛りは、手段に格下げした瞬間に「守っていた」という事実ごと軽くなる。フォーキーの誕生を「命が生まれる瞬間」として真面目に描いた映画が、同じ100分の中でこの雑さを見せるのは惜しい。
ここが残念…
- 『3』の余韻が、観た瞬間から書き換わってしまう
- ウッディの最後の決断が、3作分の積み上げの上に乗らない
- ジェシーやレックスたち、昔からの仲間の出番がほぼない
- 「人間の前では動かない」という大原則が、終盤で手段に格下げされる
こんな方には向かないかも…
- 『3』のラストを自分の中の完成形として大事にしている方
- ウッディというキャラクターへの思い入れが特に強い方
- おなじみのメンバーが全員で騒ぐ賑やかさを期待している方
サウンドトラック購入先
音楽は1作目から続投のランディ・ニューマン。本作のために書き下ろした「I Can't Let You Throw Yourself Away」は、フォーキーがゴミ箱へ帰ろうとする一連の場面に付いている。
- Spotify:配信あり
- Apple Music:配信あり
🎬 「トイストーリー4」が好きなら絶対見るべき3選
天気の子
主人公が最後に出す結論に納得できず、そのモヤモヤを抱えたまま劇場を出る。この体験がまるごと同じ映画だ。新海誠が帆高に選ばせたものは、観客の側が身構えるほうの選択だった。作品の出来ではなく、主人公の決断そのものに引っかかるという現象を扱っている点で、4への違和感を言語化する助けになる。
👉 『天気の子』にモヤモヤした人へ|その違和感の正体を徹底解説
クリード チャンプを継ぐ男
完結したはずのシリーズを、何年も経ってから再開させた続編という点では本作とまったく同じ立場にある。違うのは、ロッキーを主役の座から降ろしたことだ。物語を前に進める役目は新しい主人公に渡し、ロッキーには彼のまま年を取らせた。だから前作までの積み上げが壊れない。「その決断を取るのがウッディである必要はあったのか」という引っかかりに、逆側から答えをくれる一本だ。
👉 クリード チャンプを継ぐ男 感想・評価|ロッキーファン号泣の傑作
カールじいさんの空飛ぶ家
同じピクサーが、同じ「役割が終わったあとの人生」を扱って、まったく逆の結論を出した作品。カールが最初に選ぶのは、失ったものを抱えたまま動かないことだ。そこから彼がどう変わるかは観てのお楽しみだが、手放すことと居場所を変えることは同じではないという線引きが、この映画にははっきりある。4の着地に納得できなかった人ほど、こちらの着地は腑に落ちるはずだ。
👉 『カールじいさんの空飛ぶ家』はDisney+で見放題|冒頭10分の意味
📺 配信サービス別・視聴ガイド
『トイストーリー4』はどのサブスクで観るのがおすすめ?
結論から書くと、見放題で観られるのはDisney+だけだ。ディズニー・ピクサー作品は自社のサブスクに権利が集約されているため、他社では見放題の対象にならず、1本ごとのレンタル課金になる。
1本だけ観たいならレンタルが早い。Amazon Prime Videoが400円、Huluが440円で、DMM TVもほぼ同額だ。DMM TVは初回登録で550ポイントが付くので、レンタル1本ぶんはそれで足りる計算になる。
ただし、この4を単体で観る意味はあまりない。1作目から順に追ってきた人にしか刺さらない構造だからだ。シリーズをまとめて観直すつもりがあるならDisney+、4だけ確認したいならレンタル、という分け方がいちばん無駄がない。
視聴はこちらから
- Disney+:見放題
- Amazon Prime Video (30日間無料体験):レンタル400円
- DMM TV (14日間無料体験):レンタル
- Hulu:レンタル440円
- U-NEXT (31日間無料体験):配信なし
📀 Blu-ray・円盤情報
冒頭の雨と排水溝、そしてボー・ピープの陶器の質感は、圧縮の効いた配信よりもディスクのほうが差が出る。4K UHD版はブルーレイとデジタルコピーが同梱で、シリーズを画質で観直したい人はこちらが本命になる。
📝 まとめ
単体で取り出せば、全部よくできている。フォーキーという発明も、ギャビー・ギャビーの物語も、冒頭の雨の質感もだ。100分という尺にこれだけの新キャラを入れて全員機能させた腕前は、ピクサーがピクサーである理由そのものだ。それでも1〜3を追ってきた人の中に受け入れられない側が出るのは、この映画が作品の出来とは別のところで観客に踏み絵を出しているからだと思う。
踏み絵は、終盤でウッディが出す答えだ。あれを「進化」と読める人にとって、本作はシリーズの到達点になる。読めなかった人にとっては、24年かけて知っていたはずの人物が、幕切れで知らない誰かになった映画になる。筆者は後者だった。だから点数は伸びない。ただ、この分かれ道を自分がどちら側で踏むかは、実際に観るまで分からない。1〜3を通ってきた人なら、確かめる価値はある。
⭐ 作品の特徴
| 項目 | 評価 | コメント |
|---|---|---|
| ストーリー | ★★★☆☆ | 新キャラの導入は鮮やか、着地で好みが割れる |
| キャラクター | ★★★★☆ | フォーキーとギャビーは大成功、既存メンバーは空気 |
| テーマ性 | ★★★★☆ | 「役割が終わったあと」に正面から踏み込んだ |
| 映像 | ★★★★★ | 冒頭の雨と排水溝はシリーズの最高到達点 |
| 後味 | ★★☆☆☆ | 『3』の余韻を上書きしてしまう |
うさぎ亭的おすすめ度
⭐⭐⭐⭐⭐⭐☆☆☆☆
6.5 / 10
よくできている。だから、許せない人が出る。